優しくされることよりも優しくできることの価値
何だか、難しいタイトルですが・・・。
単純に人から「優しくされる」と嬉しいですよね。
- 荷物が重い時に、手伝って運んでくれた
- 何でもない愚痴を延々と聞いてくれた
- ドアを開けてもらった
- エレベーターで「何階までですか?」と聞いてもらった
- ガムをくれた
・・・これ、昨日私が体験した「優しくされた」ことです。
とっても嬉しい。
では、その逆。
昨日、私は誰に優しくできたのか?
ぱっと思いつかないのが悲しいところ。
あれ?・・・ホントにないみたい・・・。
大ボスのおやじギャグに付き合った「優しさ」しか思いつきません。
人に「優しく」していますか?
どうしてこんな話題になったかと言うと、先日友人がこんなことを言っていました。
婚活イベントに来る人を見ていると、
男性は「ビジュアル:見た目や年年」、
女性は「スペック:年収や職業」
にこだわってるように思える。
そんな一時の価値しかないものを基準に
これから先の30年、40年付き合っていくパートナーを
探すのは間違っていると思う。
年齢を重ねれば、見た目も変わる。
今、一流企業に勤めていてもいつリストラになるかもしれない。
そんな不確かな要素に重きを置くなんて馬鹿げている、と。
まさに真理です。
この言葉、耳に痛みを感じながら聞いていました。
そして、私は友人に聞きました。
「じゃあ、相手に求める一番大切なことって何?」
「相手には何も求めないよ
自分がどれだけ相手のことを想えるかだよ
その人のために何かをしてあげたいって思う自分の気持ち
相手にいつでも優しくできる気持ち、それが一番大切」
相手に優しくできること、それが彼女の一番の価値。
いつも相手に求めてばかりの私です。
何かをしてもらうことに必死になるより、何かをしてあげれることに重きを置けるようになって行きたいな。と考えた昼下がりでした。
昔、松たか子が主演していたドラマのセリフを思い出しました。
「私は、とってもわがままだから、自分のことが一番大切
もし、自分以上に相手のことを考えられるように出来れば
恋ができるのかもしれない」
結局、相手に何かを求めてる時点で、それって「自分が一番」ってことなんだろうね。
自分よりも相手を想う・・・そんな気持ちになれる日が近いと良いな。
まったく余談ですが・・・母の優しさについて。
うちの母はとっても食いしん坊。にも関わらず、ご馳走の最後の一切れを私に譲ってくれます。
母の愛。優しさ。
「私も母になったら、自分の子供に最後の一切れ譲れるのかなぁ~」
と、2児の母の友人に話したところ、
「え、私は譲らないよ。だってもったいないでしょ、子供には」
彼女の言うご馳走とは、「ロブスター」でしたので・・・
子供は大人になったら自分のお金で食べなさい、と言うことだそうです。
まぁ、それも心理、いや真理。